〜近鉄大阪線 悲劇の廃線跡を辿る〜
年の瀬も押し詰まった2004年12月29日、自転車で近鉄の廃線跡を辿ってきました。廃線といえばスタンドバイミーを気取りたくなりますが、実際に辿ってみるとそんな気分にはなれません。孤独と恐怖という現実が襲いかかってくるのでした。今回は列車が暴走を始めてから事故に至る過程を廃線跡を辿りながら振り返ってみます。

※事故要約
「昭和46年10月25日、近鉄大阪線の単線区間において名古屋行き特急がブレーキを失い暴走、難波行き特急とトンネル内で正面衝突。死者25名、負傷者225名の大惨事となった―。」













全長が3.4キロにもおよぶ青山トンネル東側坑口です。
事故列車はATSの誤作動により青山トンネル出口直前で急停車しました。
しかしATSが解除できないため、運転士は手動にてブレーキコックを操作。
そしてブレーキを解除、下り傾斜に沿って列車はゆるゆると動き出しました。












青山トンネル(写真右奥)を出るとすぐに旧東青山駅構内です。
ススキに埋もれながら島式ホームが永い眠りに就いています。












心無い鉄道マニアによって持ち去られた備品は数知れず、
このキロポスト表示も今となっては貴重な遺留品です。












駅の側にはかつて山神様を奉っていた廃神社があります。
鳥居の両端に鎮座する狛犬は片足がもげていました。












廃神社の側には茶店がありますが、ついに足場が崩れました。
こうなってしまうと加速度的に崩壊していくでしょう。
すべてが自然に還りつつある旧東青山駅です。











駅の全景です、奥に見えるのは滝谷トンネル西側坑口です。
事故列車は左端のホームに停車するはずでしたが、
ブレーキにエアが供給されず、そのまま通過して行きました。
構内の傾斜はそれほどでもないので、時速20キロ位でしょうか。












滝谷トンネル(730m)から旧東青山駅を望む。
ここから傾斜が強くなっているのがわかりました。
トンネルに入った所でどんどん加速がついていったのでしょう。
運転士の心情を察して余りあります・・












トンネル内はバラストが敷き詰められたままで悲惨です。
マウンテンバイクをもってしても、まともに走れません。
あっというまにスタックしてしまいますが、恐怖のために
無理やり乗ってはスタックの繰り返し。












随分走ったつもりが、しかし出口はまだ遥か彼方・・
乗ってはスタックの繰り返しなので、なかなか前に進みません。
永遠に出口に辿り着けない気がしてきた・・












やっと出口まできました、既に次のトンネルが見えています。
出口は目前に見えても、実際出るには1分近くかかりました。












溝口トンネル(931m)
このトンネルは全線にわたってカーブしているため漆黒の闇です。
トンネルの写真がやけに多いですが、それは平静を保つため・・
フラッシュを焚いた瞬間、我に返るというかんじ。












溝口トンネルをクリアするとまたまた、、、二川トンネル(799m)です。
トンネルを通るたびに慣れるどころか、ますます恐怖感が増してきます。
これが廃トンネルの恐さでしょうか、もう本当に気が重い。












二川トンネルを出た所です。ここで単線のトンネル区間は一段落して
雑木林の広がる丘陵地帯に入ります。現役当時はこの丘陵地帯に
福線化された垣内信号所が設けられていました。
なにかホッとしますが、傾斜はこの辺がいちばん強く感じます。












二川トンネルを振り返る。我ながらよく通ってきました。












線路脇に垣内西信号所の残骸を発見!












のどかな風景ですが、暴走特急はここでトップスピードに達したのでしょう。













いま通って来た所は立入禁止区域でした。。
ここからは「四季のさと」という近鉄が管理する公園になります。












廃線跡は公園内を貫いており、案内板やパンフレットにも
公園内に限って「旧線路バラス道」と紹介されています。
師走なので公園には人影もなく静かです・・












ほどなくすると現在の東青山駅が見えてきます。
旧線はこの場所で急カーブを描きつつ新線に並行してゆきます。
暴走状態でこの急カーブを曲り切れるのか少々疑問ですが、
近鉄の線路幅は新幹線と同じ広軌なので、その為かも知れません。












在来線に普及している狭軌だったら、このあたりで脱線して
正面衝突という最悪の事態は避けられたかも知れませんね。
広軌ゆえに起こった暴走劇だとしたら、なんとも皮肉なものです。












さて、いよいよです。
以前は「行止まり」としかなかったような。
わざわざトンネル名を記したのはなぜでしょうか。












事故現場の総谷トンネルです。
左の藪にはかつて安全側線がありました。事故当時もポイントは
側線向きに切り替わっていましたが、スピードが出すぎていた為
列車はそれを乗り越え、脱線状態でトンネルに突入して行きました。
そして難波行き特急とトンネル内で正面衝突










トンネル内には当時の傷跡が生々しく遺されています。
突入時の速度は120キロ以上に達していたそうです・・・















  

















事故地点から四季のさとを望む












トンネルの反対側に来ました、奥に梶ヶ広トンネルが見えます。
総谷トンネルは以前、鉄道関連の資材置き場になっており、
フェンスで閉ざされていたのですが、現在は蹴破られて通り放題です。























道は梶ヶ広トンネル東側でついえました。












側には現在の近鉄大阪線が並行しており、頻繁に
列車が往来していました。しかも恐ろしいスピードで。
あの列車から旧線に思いを馳せた人はいなかったと思う。












日の暮れた四季のさと。
まだ午後5時ですが、駅のシャッターは既に下りてしまいました。
東青山駅は移設されてからも列車交換の小駅に変わりないようです。

四季のさとは、新緑の季節に訪れるととても綺麗な所です。
美しい駅前の花壇をみていると、近鉄はこの公園を慰霊的な
意味を込めて造ったのかなと、そんなふうに思えるのでした。

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